2008年01月31日

お休みの件

080128_1543~0001.jpg長らくご無沙汰してスミマセン。

トップページには親族の不幸で、、と書きましたが、実は実父が急逝したのでした。先週の木曜日の夜知らせを聞いて、翌日慌てて兵庫県宝塚市の実家に戻りました。

色々と仕事を抱えたままでしたが、とにかく今商品を待っているお客様には迷惑をかけないように頑張ったつもりです、、が。パニックになっていたのと、父の姿を何とか早くみたい一心で、色々取りこぼしがあったかもしれません。
本当に申し訳ありません。

今は葬儀も済み、色々な後始末をしています。


あまり明るい話ではないのですが
色々と思うことがありましたので続きを書きました。
よかったらご覧下さいね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




後日談。

父は享年74歳と平均寿命から言ってもわりと若い方だったのですが
実はもうすでに10年以上認知症(いわゆる痴呆ですね)でした。
ですからきっとやっと楽になって、家に戻ってきたという気がします。

でもその前の10年以上、日々、年々壊れていく父を見て、
家族はどうしても素直に受け入れられませんでした。
理想はテレビのCMのように優しくお年寄りを介護、、といきたいものですが、
まだ年齢的には年寄りでもない父親を、何も出来ない年寄りと
認められなくて、あんなに大好きだった父親なのに
酷いことを言ってしまったこともあります。
また本人も思うように動けなかったり、徐々に自分の頭に
穴が開いたようになっていくのを感じて焦りや苦しみがあったと思います。

父の場合、脳梗塞から来ている認知症だったこともあってか
他に様々な病状を併発して、歩けない、下も自分でできない、
そのうちわたしたち娘のこともわからなくなる、、ともう
父は死んでしまったのだと思うこともありました。

それでも実際亡くなってしまうと違うんですよね。
本当にこの世からいなくなってしまったのだと。
私たちを置いていってしまったんだなと思うものです。


父は現役の頃は化学者でした。
若い頃は日本のODA予算でやっているJICAプロジェクトを
介して、途上国へ日本人技術者を派遣する一員として
何度か海外に行っていました。
中でもわたしが小学校の時に行ったビルマ(現在のミャンマー)は
かなり思い出深かったようで壊れ始めた頃でもまだ
よく話をしていました。

わたしが東南アジアを訪れて熱病のように何度も行ったのも
父の影響は大きかったです。
わたしは父のように勉強した上で技術を施すことなどできませんが、今プティ・マニスを運営しながらも、1mmでも
父が持っていたハートの部分を受け継いで行けたら、、
と思っています。

・・突然の自分語りスミマセン(^^;)(お恥ずかしい)

でもま。

父が心の底で持っていた何かを受け継いで
がんばります♪
posted by eiko at 03:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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